本日、 金沢市役所より「定額給付金申請書」が届いた。「定額給付金」の是非について意見を書くには、すでに時期的に遅すぎるので、きわめて簡単に書く。
@ 受け取るのか?
受け取る。
制度の問題点は大きいのだろうが、僕が受け取らないだけで、それが修正されるものでもない。制度そのものにはどちらかと言えば「反対」だが、必要な医療すら満足に受けられない現在の自分の低収入(僕は「ワーキング・プア」の一人である)という現状において、反対の意思表示のためだけに受け取らないという選択肢は無い。
A では、なぜ「反対」なのか?
この「定額給付金」そのものに反対というより、政府の施策として「国民の生活を守る」や「弱者救済」ための方法がもっと他にあり、より有効な対策にお金を使うべきではないかというのが基本的考え方だ。
たとえばひとつの例として「派遣」の問題がある。テレビでは「派遣切り」のニュースがめっきり少なくなった。ニュースが少なくなったことはいつものことながら新しいニュースばかりを追い求めるマスコミの体質であり、このことに関しては政府になんら責任は無いが、その問題点はまったく解決していない。さて、そもそも「派遣」という制度はなぜ広まったのか? 過去の歴史において、経営者側にとって都合の良い制度の法制化、さらには改悪がなされた経緯がある。派遣労働者という制度が作り出されたのは、「業績が悪くなれば簡単に解雇できる労働者」というものを企業側が求めたからにほかならない。だから昨年の秋のように景気が悪化すれば、こういう事態が起こることはまさに「想定内」なのだ。想定内というよりも、極論すれば、こういう不景気のときに労働者よりも企業を守るために、派遣という制度は作られてきたのだ。最近のテレビでは少なくなってきたが「人材派遣会社」のテレビコマーシャルがこの5年くらいよく流れていた。「いつでも仕事を変われる」「今日はここで仕事、明日はあそこで仕事」ということがまるで”カッコイイ”ことのようなCMを垂れ流して派遣のイメージアップを図ってきたきた(?)民放に昨年の一連のニュースをうわべだけ「大変です」と報道する権利はあるのか? もちろん、報道しないというのはもっと許されないことではあるのだが。しかし、いうまでもなく派遣をめぐる問題の責任の所在は、放送局ではなく政府にある。「終身雇用」という考え方が正しいのかどうかは僕にもわからない。ただ、基本的に「労働者は働かなければ生活に困る」のである。「企業がつぶれたらそこで働く労働者はもっと困る」ということも否定はしないが、国民生活あっての企業であり国家である。政府が国民よりも企業側(資本側)に立つというスタンスをまず改めない限り、いろいろな問題の根本は解決しないのだ。派遣をめぐる問題はひとつの例に過ぎないが、その施策により誰が得をし誰が犠牲になるのかを見抜く目を国民が持つことの必要性を改めて教えてくれているのではないか。
消費税の問題もある。この「定額給付金」が「消費税増税」とセットなのかどうかは、法律の文言的にはなんら関係ないので、ここで「セットだ」「セットじゃない」と争ってもしょうがないが、いずれにしろ3年後の税率アップは既定の路線のようである。諸外国に比べれば安いという議論も一部にあるが、@ 税制は社会保障や医療費等の生活に直結する制度と総合的に考えるべきであり、その「率」だけで高い安いと言ってもナンセンスである。A 税収不足と言いながら巨大な内部留保を維持する大企業の税率はなぜ上げようとしないのか、また一部「株主」の利益への課税と5万円の年金から絞り出す生活必需品購入費への課税の税率は、その考え方が適切であるといえるのか等、税制のみに限っても問題点が多く、単に「税収不足だからやむなし」とすることはできない。
社会保障費の問題についても、「年金」での記録の紛失や改ざんなど、加入者のことをまるで考えないおそまつな事態はここで改めて触れるまでも無い。医療費も、僕が健康保険に加入した頃には自己負担が1割であったものが、2割となり、3割になってきた。国民の生活はどんどん悪化してきているのだ。さらには生活保護の「打ち切り」の件数や率を「目標」を定めて実施した県の事例などは、わが耳を疑う。生活困窮者を切り捨てることはやっても、たとえばトヨタの13兆円の巨大な内部留保は、一部株主の収入確保のためには、それにこれ以上の課税をするなんてめっそうもございませんというのが政府の姿勢ではないか。数年前、「勝ち身」「負け組」という言葉が流行語のように使われていたが、国民のあいだでの格差の広がりは間違いの無い事実であり、その格差を作り出した要因のひとつに、施策の意味を考えることなくしゃべり方がカッコイイだけの小泉内閣での「改革」という美名の下での規制緩和施策があることも、まぎれのない事実だろう。おばちゃんたちが「キャー、素敵」といっている間に、その生活を取り巻く環境は悪化させられてきたのだ。そして、「勝ち身」「負け組」という考え方自体も、真の「敵」を覆い隠している。「負け組」の敵は「勝ち組」ではない。格差を作り出し、互いを敵とさせることで自らへの矛先をかわそうとする権力者の思惑にのっかてはいけないのだ。
繰り返すが、ある「施策」について考えるには、その施策により、誰が得をし、誰が犠牲になるのかを見抜く目を国民が持つことが必要だと思う。今、「定額給付金」はとりあえずは「得」であり、そして誰も「損」なんかしないように見えるかもしれない。しかし、給付金の財源は最終的には国民の税金なのだ。税金そのものを「損」と考えることは誤りではあろうが、その徴収方法、金額、そして使われ方が適切かどうかを考えることは重要である。また、「定額給付金」だけに限っても、麻生総理が受け取るのか受け取らないのかのくだらない国会答弁の「ぶれ」なんか問題ではない。たとえば同時期に問題となった解雇された派遣労働者が彼らに住居が無い場合には「住民票」の関係からこの給付金すら受け取れない可能性が高いことのほうがはるかに問題だ。高額所得者が貰うことがさもしいかどうかの発言がああでもないこうでもないと騒ぐより、今、現実に10円、100円に困っている人を救済するにはどういう手段があるのかまず考えるべきではないのか? 麻生総理や閣僚は、もらったら「景気浮揚のために盛大に使う」ことなんかしなくて良い。もらったら、とっとと首を切られ住む場所に困っている人のところに「詫び状」と一緒に持参すべきだ。
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